石井 愛 デザイナー
ワーキングマザーの遺伝子
父が早くに亡くなり、母はシングル&ワーキングマザーとして私を育ててくれました。
私が小学生当時はまだ専業主婦が多かったなか、きちんとスーツを着てカツカツ歩き仕事にでかけていく母を、私はとてもカッコいいと思っていました。
残業が続いたときは「お母さんは何時に帰ってくるの?」と一緒に住んでいた祖母を困らせたこともありましたが、そのうちに母を待ちながら夜遅くにやってるドラマを祖母と一緒に観る楽しみをおぼえたりして、母が働いていたことですごく困ったことはなかったと記憶しています。
そんな環境で育ったこともあり、結婚しても子どもを産んでも仕事をやめて家に入るという選択肢は私の中にはありませんでした。
奮闘した日々
長女が生後6ヶ月をむかえたころ、保育園にあずけることになりました。まだ1歳にならない小さなわが子をよそに預けることに不安も、寂しさも、可哀想だなという気持ちは大いにありました。でも、何件も回って「ここなら」と思える保育園が見つかり、先生方が本当にお母さんのように、おばあちゃんのように娘を可愛がってくれる場面や同級生ママ&先輩ママたちが安心して仕事に出かける様子を見ていたら、「大丈夫だ」と思えて心が軽くなりました。
でも、次女も合わせて保育園生活足掛け12年、なんの問題もなかったわけではもちろんありません。
入園した最初の冬、長女は何かと体調を崩して1週間休まず保育園に登園できた試しがありませんでした。
度々の発熱、その都度母(定年退職して家にいた)に預けるか、それができないときは欠勤(夫もたまに休んでくれました)。ありがたいことに会社の理解は厚かったもののどうしてもやらなければならない仕事もあるわけで、まだテレワークの「テ」の字もない頃から自前でパソコンを買って家で仕事ができる環境を整えたりしていました。
でもその当時はクラウドサービスはおろか会社にサーバーさえ設置されていなかったから、MOや外付けハードディスクにデータをコピーして持ち帰って作業したり、ある時期はMac miniを持ち歩いたりもしていました。
夜中に突然子どもが発熱して「明日作業するデータ会社にしかない!」なんてこともしょっちゅうで、そんなときは夫の帰宅後(これまた帰りが遅かった)夜中に車を飛ばして会社まで作業データを取りに行ったこともありました。
子どもを寝かしつけた後に仕事をすることも多かったので早く寝てほしいのに、なかなか寝付かない娘にキレて「いいかげんに寝て!!」と大きな声を出して泣かせてしまったり、夜中まで仕事をする私の横で娘が眠ってしまうなんてことも日常茶飯事。
育児に協力的な夫ではあったけど、小さいときはどうしても、やっぱりママ。
「ママといっしょにいたい」とすがりついてくる我が子に対して申し訳ない気持ち、罪悪感に泣いた夜もありました。
十分に協力的であった夫に対しても、私は毎日送り迎え&世話がデフォルトなのに夫は「今日遅くなる」の一言で飲み会に行き午前様で帰ってくることに不満爆発、私が一方的に怒りをぶちまけて家の中が不穏な空気に満ちてしまう日々も多くありました。
一転して、専業主婦になりたくなった
次女を産んだ頃の私は、長女のときとは少し違っていました。いわゆる一人目の長女のときと違い、また、年が離れているせいか、自分が年をとったせいか、子育てに関して寛大になっていました。とにかくかわいい。ずっと一緒にいたい。面倒見ていたい。仕事なんてしなくていい。
周りの人々と、自分自身の変化に助けられた
私がそんな罪悪感や忙しさにときには翻弄されながらもここまでやってこれたのは、環境に恵まれていたからにほかなりません。
中でも会社の理解は、他の会社に比べて別格でした。会社のメンバーたちは、いつでも私と家族に心を配り、励まし、私の分まで仕事を負い、常にサポートしてくれました。娘たちを姪のようにかわいがってくれ、特に長女は中学にあがるまでしょっちゅう会社に来ていたので、22歳になった今でもみんなのことを大好きで、親しい親戚のように思っているようです。
そんな会社のメンバーと、母と、夫と、保育園の助けがあってここまでやってこれたのですが、私自身の変化も、私が子育てをしながら働くことを助けてきたと思っています。
これは仕事をしているしていないに関わらずではあると思うのですが、子どもが小さかった頃、私は少なからず自分は自由ではないと感じ、子育てしていない人たちは時間を自分のためにたくさん使えていいな、と羨望を感じて苦しんでいました。そんなある日、出社のために最寄りの駅のホームで電車を待っていたとき、本当に突然、唐突に、こんなメッセージが「降りて」きました。
「私は自由だ」
びっくりしました。
「私は自由だ。子どもを持ったのは私の選択。仕事をしているのも私の選択。私は自分で選び、子育てをしている。仕事をしている。これこそが自由だ」
なんだかわからないけど、私は納得しました。私は究極的に自由だと知った瞬間でした。
とはいえ、もちろんそれからも、色んな感情に振り回されることはありました。夫と喧嘩もやっぱりしたし、仕事がうまくいかなくて泣いたこともたくさんありました(今もです)。
でも、あのとき駅のホームで受け取ったメッセージによって、私は多分少し変化しました。
これからも、ワーキングマザーとして
長女は大学を卒業し、もう間もなく社会人になります。次女は中学生なのでまだまだ子育ては続きますが、本当に子どもに手と気持ちがかかる時代は過ぎていったように感じます。それは嬉しくもあり、寂しくもあり・・・。
でも、私はワーキングマザーであり続けたいと思っています。たとえ自分の子ども達が成長して独立していったとしても、この経験を生かして、いつもなにか大事な存在を育てながら、これからも人生の仕事を続けていきたいと思っています。
幸い夫の多大なる理解と協力があり、会社(HAGUKUMIプロジェクトの母体である株式会社アクセル)は社長をはじめみんな子育てしながらの仕事を心から応援してくれたので、私はとてもとても恵まれたワーキングマザーだと思っています。
Profile
デザイナー。2児(娘二人。社会人と中学生)の母。
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