
井上優紀 デザイナー・Webデザイナー
氷河期の中で編集プロダクションに何とか潜り込み、雑誌や書籍のデザインに3年ほど携わった後、
本来希望していた印刷会社にてパンフレットやチラシのデザインに3年程携わりました。レイアウトデザインの他、コピーや文言のライティングやイラストの制作も担当しておりました。
それなりに充実した日々でしたがその後起きたリーマンショックで自分の職場が無くなった後、結婚と出産を経て主人の家業の経理事務の手伝いをしていました。
二人の子供は2〜3歳近くまではかなりの頻度で熱を出し、保育園をお休みするという孤独で過酷な環境でした。
特に下の子は成長が遅く保育園の勧めで療育センターに毎月通い始め、この先どうなるんだろう??という不安な気持ちで一杯になる事が増えました。なのでデザインの仕事としては、フリーランスという選択肢しか思いつきませんでしたし、実際に就職をするというのはきっと無理でした。。
気晴らしも含め個人事業主の方の集まる異業種交流会にちょこちょこ参加しては中小企業のロゴや印刷物のお仕事を頂いてデザイン業を繋いでおりました。
その間に出会った起業家のママさん方は方向性が違いましたが、実はかなり当時の心の支えとなりました。
細々とお仕事を頂いてはいたものの、Illustratorとphotoshopだけで今後のデザイン業はやはり厳しい気がしていた矢先、コロナが世の中で蔓延しました。
誰にも会えなくなったので、webデザインスクールでデザインを学び、運よく制作会社で単発のワイヤーフレーム等のデザインのお仕事を少しではありますが受注しておりました。しかしながらそのタイミングで下の子が怪我で顎を骨折して2ヶ月近く保育園に行かれなくなり、期限の短いデザインの仕事はほぼ受注出来なくなりました。
暫く決まった時間を確保したり営業しに外出するようなデザイン業は難しかったのもあり、そこから割り切って1年程メンターの下でコーディングのスキルを磨き、2024年秋に自身のポートフォリオギャラリーを完成させました。
そのうちにWEBの仕事を受注出来るようになりましたし、子供も療育センターに通う必要がないくらいに成長も進みました。
ようやく本格的にDTPの他にWEBも出来るデザイナーとしてこの地点に到着出来たという感じです。
時によって人も環境も違いますが、働くママさんや起業女性との会話と交流というのはずっと自分の心の支えとなってきました。
実際にこれからも必要だと考えています。それがなければもっと心が沈んでしまうこともあったかもしれません。。
今後もWEBの経験を積んで、世の中の良いサービスや物が認知されて加速していくようテコ入れ出来るデザイナーとして、皆さんと邁進していきたいと考えています。
Profile
デザイナー。二児の母。
※画像はイメージです